カテゴリ:思い出の本/Books in my Memories( 21 )

さいごに、食べたいもの。

さいごに、食べたいもの。_a0392423_13361417.jpg
 
 結構な確率で、あちこちで語られる、「人生最後に食べたいもの」。俳優や芸能人などが思い出の味や好物を熱弁するのを見かけるたびに、「わたしにとっては何だろう?」と一瞬考えるものの、「や、自分のそのときの健康状態によっても違うよね。自分だけが最後なのか、人類全体が最後なのか、でも、まったく違うし…」なんて理屈っぽく考えてしまい、結局候補を挙げることすらできず(苦笑)。そして、そんな「ネタ」としてすら思い浮かべられない自分のつまらなさ加減にもガッカリしたりして。

 とある生徒さんとレッスンの合間にお話ししていて、「思い浮かばないんですよね…」と云ったら、その方が、「わたしにとっては、粉工房さんのお菓子ですね!もう、種類は問わないです(笑)」なんてお返事が来て、ビックリしつつ、なんだか恐縮したこともありました。

 昨年、発売されるや否や話題となった「ライオンのおやつ」が、長年の理屈っぽさの答えに(一部ですが)なるのでは、と、とっても気になったものの、なかなか手が出せずに1か月ほど迷いに迷って、やはり読んでみたいと購入しました。

 余命宣告を受けた30代前半の女性が、瀬戸内海の小さな島のホスピス「ライオンの家」に移り、最後の日々を穏やかに過ごしてゆく物語。毎週日曜日に、入所者のリクエストに沿った「おやつ」が出されます。思い出のエピソードを聞きながら、食堂で一緒に戴くのですが、匿名であるにも関わらず、ちゃんと、「誰の」リクエストなのか、その場にいた全員がわかるような描写が素敵です。投書箱に入れられ、厳正なる抽選のうえ、そのお菓子が再現されますが、症状の重い人から、などという優先順位はないので、それこそ、元気なうちにそのお菓子が食べられるとは限りません。主人公の女性はなかなか「さいごに食べたいおやつ」が決められないまま、ほかの入所者のエピソードをときに微笑ましく、ときに切なく思い描きながら、ひとくちひとくち、大事に口に運ぶ描写が続きます。

 具体的なことには触れないように書きますが、わたしにとっては、主人公の女性よりも、ホスピスの施設長や、食事担当である年配の姉妹など、スタッフ側の方に感情移入してしまい、もしかして泣くポイントがずれているのでは…と、なんども思いながら読み進めていました。さらには、思い出の食べ物を再現、だなんて、責任重大すぎてわたしには難しいかも、なんて考えて、勝手に悶々としたり(苦笑)。だって、それこそ、もしも「プリン」だなんて云われたら…カラメルはどんな濃さだろう、プリン液は昔ながらのでいいのか、生クリームとか入るタイプか、ふるふるとろんタイプか、カッチリタイプか。確かに見た目は「プリン」だけれど、私が食べたかったのは「このプリン」じゃない、「あのプリンなのに…」なんてなったら一大事なのに!と。そして何より、「抽選」という公平な条件のせいで、元気なうちに食べられなかった入所者さんの様子を見ることになったら、「作り手」としては、あぁ、一週間前にこのお菓子が選ばれていたら…と思うのではないか、と。それを云いだしたら日々の食事そのものが責任重大だし、会話だってそうだし、いえ待って、余命が分かっているからこそ、「その心構え」でお互いに居るけれど、そうではないケースが世の中にどれほどあることか、後から思い返して「あぁ、あのとき会ったのが最後だったんだ」ということのほうが圧倒的に多いではないか、と…

 読み終えたのは昨年の11月のことで、ずっと、書きたいと思いながらもなかなかこちらで書けませんでした。画像に入り込んでいる「旧ブログアドレス」が物語っていますね(笑)。書きかけてはやめ、数行書いてはやめ、の繰り返し。1か月前にはインスタグラムにも

 

 想いは冷める。

 想いは蓄積する。

 想いは忘れる。

 想いは歪む。

 新鮮なうちに、忘れないうちに、書き留めるのも価値のあることだけれど、

 熟成されていない剥きだしの言葉をみて、あとで傷つくこともあるし、

 考えすぎて出てこない、あぁ、もうあの想いは失われてしまったのだ、と残念に思う気持ちもあるし、

 そのときそのときで、言葉や想いへの距離感も付き合い方も変わるものなのだ、ということだけが、今の実感です。

 と、書いているくらいでした。

 今も、思ったようには書けていない気がするのですけれど、やはり、これから読む方のことを考えると細かいエピソードには触れない方がいいように思うので、これで精いっぱいかと思います。「食堂かたつむり」で広く知られる小川糸さんの作品なので、料理の描写はほんとうに鮮やかで美味しそう。重いはずの設定も、軽やかに描かれているがゆえに、ファンタジーのよう。でも、あちらこちらに根源的なことが散りばめられていて、絵空事だけではない重量感もあります。そのへんのバランスが、「読みやすい」に繋がるのだと思います。(わたしにとっては、その「バランス」こそが、違和感であり、感想を書けない理由でもあったのですが、それはまた別に機会があれば書きたいと思います。)

↓参加しています。応援のクリックどうぞよろしく。
にほんブログ村 スイーツブログ お菓子教室へ
にほんブログ村


 

by farine12 | 2020-03-21 10:14 | 思い出の本/Books in my Memories | Comments(0)

思い入れ。


思い入れ。_a0392423_00165864.jpg


 小学生の頃に愛読していた月刊誌「絵本とおはなし」が「MOE」に名前が変わって、2年ほど経った頃に誌面連載されていた「風町通信」という短編集。実在しない、地図に載っていない街の様子、少し風変わりで感傷的な住人たち、ふらりと辿り着いてしまった人々のエピソードに、夢中になったものでした。

 単行本になってからもちろんすぐに購入し、だいじに大事に、読み込んできました。
勝手にインスパイア(?)されて、自作の詩やショート・ショートなどを手書きしてお気に入りの紙で綴じて、「薄荷通信」なるものを書いてみたのが高1の頃だったでしょうか…

 当時は、「ミント」「ペパーミント」「Mint」「薄荷」、どの表記もとにかく惹かれたもので…
なんていうのでしょう、和名も英語名も、どちらもそれぞれが似合ってる!と思ったのですよねぇ…

 英語は格好いいけど和名になるとイマイチ、なんて名詞はたくさんあるのに(笑)どれをとっても雰囲気あるな~!なんて盛り上がっていました。(わたしのなかではあとひとつ、カタカナでも平仮名でも英語表記になっても素敵!と思っている好きなコトバがあるのですけど、それはまたいつかの機会に。)
 
 音が好きなのか!と思って、「眠兎」と書いて「みんと」と読むペンネームもいいなぁ、いつか使ってみよ♪なんて夢想したのもその頃でしたか(笑)。

 単なるティーン向けファッション誌ではなく、洋服や小物、ニットなどの一部が型紙やら編み目図やら掲載されていて、モデルさんと同じ服を着ようと思えば作れる!という雑誌の「ポエムコーナー」(という響きが、時代ですねぇ。。)や「MOE」に投稿して掲載されたり、と、ちょこちょこと何か書いてみる、そしてそれをちょこっとアピールしてみる、なんてことをしていた14~16歳の頃。

 夏になって、チョコミント業界がとくに賑わってくる頃になると、思い出しますね~~。懐かしいです。


 承認欲求って、誰にもあるんですよね。

 どの程度本人が自覚するか、とか、どうカタチにするか、というのはそれぞれですけれども。

 それこそ、ブログから一気に「個々が気楽に」想いを発信できるようになり、ツイッターで「実況中継」できるようになり、インスタでは画像のみならず動画まで手軽に配信できるようになって。世界がほんとうに広がって、でも狭くなって。いろんなパターンで「発信」を楽しめるようになったんだなぁと思いつつ、夏になると思い出す「眠兎」というペンネームも、まだしばらくは、アナログのまま、「いつか」のときのために取っておこう、なんて思っています。

↓参加しています。応援クリックどうぞよろしく。
にほんブログ村 スイーツブログ お菓子教室へ
にほんブログ村


by farine12 | 2019-08-09 18:27 | 思い出の本/Books in my Memories | Comments(0)

恰好良さの基準


恰好良さの基準_a0392423_00154236.jpg


 中学生の頃だったかと思うのですが、 「片岡義男」に嵌ってかなりの作品を読み漁っていた時期がありました。車にもバイクにも関心はなく、乗ってみたいとも運転してみたいとも思わないのに、実在する風景をなぞるような描写や、登場人物たちのちょっとお洒落な会話や、現実離れした日常を淡々と描くところなどに、妙に惹かれたのでしょうね。挿入されるカクテルの数々に「どんな味だろう、おとなになったら絶対飲んでみる!」と決意したり、「おとなへの憧れ」があたかも集約されているかのように思っていたのでしょう。

 そうは云っても「実際にそんな言葉使いはしないでしょ」とか、「うわ~、男尊女卑だ。。」などと反発を覚える作品も多くあったので、ほんとうによくよく考えるとどれくらい好きだったのかわからないのですけれど(笑)恋愛もお酒も実体験を伴う前だからこそ、さらりと軽い内容の短編映画でも観るようなイメージで、いくつかのシーンだけが印象に残り続けたのだと思います。

 かれこれ3年ほど前に、とある短編に登場したお酒の描写を確認したい気分になって、本屋さんで探してみたら…片岡義男を見つけられずにちょっとした衝撃でした。パソコンでもスマートフォンでも、予測変換で「片岡」と入れて出てくる人物リストに「義男」とは続かないですし(笑)。友人が古本屋さんで見つけてきてくれて約30年振りに手に取った赤い背表紙に懐かしく読み返しました。物語の流れもラストシーンも記憶の通りで、そのお酒の描写もほとんど合っていて、自分でもびっくりしたものでした。

 でも…いちばん驚いたのは登場人物たちの年齢設定が相当若かったというところでしょうか。あの頃は大学生でも、そんなオトナっぽかったのね、社会人2~3年でそんなベテランのように達観してたのね、35歳なんて云ったら今で云うところの「美魔女」くらいの扱いだったのね、と。どちらかというと「実年齢よりも若く」いることを目標とする今の風潮から見たら、「成熟したおとなであることの恰好良さ」の基準が明らかに違うんだなぁ、と興味深かったです。

 「お酒の描写」に関してはいつかブログで取り上げたいと思いつつ、なかなかまとまらないまま2年経ってしまいました(笑)。中学生の時に読んで思い描いた女性たちの年齢を遥か以前に通り過ぎたのに、まったくそういう格好良い女性にはなっていないという事実が書きたい気持ちを鈍らせているのでしょうね。それはそれ、と諦めて(笑)秋になってしまう前には書きたいものですが。

↓お菓子の話ではないけれど…
にほんブログ村 スイーツブログ お菓子教室へ
にほんブログ村


↓こちらにもよろしくお願いします。
恰好良さの基準_a0392423_00150283.gif

お菓子教室ランキング


by farine12 | 2018-08-19 23:55 | 思い出の本/Books in my Memories | Comments(0)

「ハヅキさんのこと」


「ハヅキさんのこと」_a0392423_00260429.jpg


 川上弘美さんの作品で何を一番最初に読んだのか、今となってはもうよく覚えていないのですけれど、文庫化されたものはほとんど読んでいて、エッセイも書評も大好きで。淡々とした日常を描いているようでふっと異界に入り込んでいたり、禍々しく妖しい気配の中に確固たる日常の姿が重なっていたりして、もうどこが境界線なのか、いやもしかしたら物事には境界線なんてないのかもしれない、と思わされる説得力に惹かれます。あんなに柔らかい文章で茫洋とした世界なのに、非現実には思えないところ。なるほどそんなこともあろうかと思ってしまうところに。

 「ハヅキさんのこと」は、ページ数にして8枚あるかないかの短編が23篇おさめられていて、こんなにも短いのにどれも濃密に「川上弘美ワールド」で、登場人物たちの息遣いというよりは、「困惑」があちこちから滲み出ている作品たちです。

 それまでにも、川上さんの描く主人公たちに何か共通の気配があるのに気がつきつつ、それをあえて言葉にすることなく読んできたのですが、この「ハヅキさんのこと」の解説を書いた柴田元幸さんは、それを「川上的オウム返し」と命名していて、あぁそこか!!と思ったものでした。叡智に溢れたひとなのか、単なる変人なのか、という、判別つきかねるひとびとが大勢登場するのですが、そう云えば確かに主人公たちは「とりあえず軽く圧倒されたまま受け取る」返事をしていて、どんなに突飛に見える(聞こえる)ハナシでも、ひとことめで否定することは決してなく、必ずオウム返しをしているのでした。

 ぼんやりしていてすぐに困惑するのに、それでもコミュニケーションとして断絶されていないのは、なるほどそこか!と。かといって、そのオウム返しがあざとくないのは、やはり主人公たちのキャラ設定と、彼女らを通して語っている川上さんご自身の、他者への興味なのだろうな、と納得したことを覚えています。

 つい先日のあるバラエティ番組で、若手の女優さんと人気の女性シンガーが「少年時代」をコラボして歌っているときに、ふっと思い出したこと。かれこれ10年以上前に、年上の男性と話をしていたときに、その方がカラオケではよく陽水を唄うと仰っていたので、なんとはなしに「少年時代、とかですか?」と聞いたのです。するとその方、「そんな簡単なものは唄いません」と、しらけたご様子でひとことだけ、仰いました。わたしはその「しらけ加減」にそんな失礼なことをいったのかしらと考えてしまい、でもその男性も十八番のタイトルを話すわけでもなく…。若干の気づまりな気配の後に話題は別に移っていったのですが、じゃぁ何を唄うんですか、と今なら続けて聞くだろうな、とか、いやむしろ最初に「陽水ですか!たとえばどんな曲ですか?」と返事するだろうな、なんて思ったのでした。そう、「今なら」もう少し、「会話を続ける」努力をするだろうなぁ、なんて思いつつ、でも、「続かせよう」として続いたものでもなかったかな、とも思ったり。

 「川上的オウム返し」で云うならば「はぁ、簡単…ですか」 「簡単ですとも」「そうでしょうか」「そうですよ」「どのへんが簡単なんでしょう」「つまりはこのへんが…」

 あぁ、やはり何かが違います(苦笑)これでは会話が進んだことにはなりません(笑)。やはり「では何を唄われますか?」と聞く方がよさそう。それで先方が「話してもあなたにはわからないでしょ」と白けた気配だけを出すようなら、それがそのひとの会話のスタイルってことで済みますものね。あ、でもこうして「判断」を自分の基準で持ち出すということは、いつまでたっても川上さんの描くような女性にはなれないってことでもありますね(苦笑)。

 居そうなのにいない、そんな女性たちがさらさらと登場するからこそ、惹かれるのかもしれません。

↓お菓子のハナシではないけれど…
「ハヅキさんのこと」_a0392423_00250290.gif

にほんブログ村


 

by farine12 | 2016-10-02 22:20 | 思い出の本/Books in my Memories | Comments(0)

同じ空の下で


同じ空の下で_a0392423_23160417.jpg


 人生で経験する印象的な出逢いはもちろん、なんてことない会話だったのに後からその温かさと深さに気が付いて驚いたり、今この瞬間がありえないくらい幸せ、でも本当にこの瞬間だけの奇跡だと冷静に頭でわかっていたり…ひととの関わりの中で何度も訪れる静かな「気づき」を改めて思い返したときに、きらりと光る小さな輝き。そんな瞬間がたくさん散りばめられたのが、 よしもとばななの短編集 「デッドエンドの思い出」。

 古本屋さんの入り口の平台で目にして、帯に書かれた 「これまで書いた自分の作品の中で、いちばん好きです。これが書けたので、小説家になってよかったと思いました。−よしもとばなな」 に惹かれて、連れて帰ってきたのが3年ほど前でしょうか。

 ばななさんの作品は初期のものはほぼリアルタイムで4~5冊読んでいましたが、それからはごくたまに短編集とエッセイを読む程度でしたので、ずいぶん久しぶりの再会。読み進めるうちに、なんだか「記憶の中のばななさんの文章」とは違う気がして、そこに囚われて純粋に作品を楽しめなかったように思います。印象的なシーン、好きなシーンはあるのに、全体では好みじゃないというか…「これが書けたので小説家になってよかった」という重さを、求めすぎていたのでしょうね。

 少し前にふっと思い出してもう一度読んだら、登場人物たちの会話での「好き」と思えるシーンのところに印がしてあるのに気が付いて、そこはやはりわたしにとって「時間が経過しても共感できる」価値観なのだなと思ったり、「好みじゃない」と思った原因がどこにあったのかが分かったり、いろんな意味で再認識ができました。そして、「あれっ?」と思った言い回しのひとつひとつまでもが、これを書かないことには全体が描けない、必要な要素だったんだろうなぁ…なんて思ってみたり。

 「今、この別々の空の下で、お互いが痛いくらいに切ないのがわかって、私の心の中にはまたあの店の二階の窓から見る光景と、果てしなくいちょうの葉が降り積もる静かな金色の世界が浮かんできた。」

 「きっとそれは私の心の中の宝箱のようなものにおさめられ、どういう設定で見たのか、どんな気持ちだったのかすっかり忘れ去られても、私が死ぬときに幸福の象徴としてきっときらきらと私を迎えに来る輝かしい光景のひとつになるだろう、と思った。」 −「デッドエンドの思い出」より−


 単行本で出版されたのが03年、出産を控えた大きなお腹で執筆していたとあとがきにあり、さらに文庫化されたのが06年、出逢って連れ帰ったのが10年頃…そして今、読みかえしながら、そのときに生まれた子がもう10歳になるのね、と考えてみたり。「そのとき」だからこそ描けたこと、その衝動、いろんなエネルギーが詰まっている作品集なのだなと思います。ある意味でもう、好き嫌いを超えてるかも。いえ、苦手な描写はあるんですけれどね(笑)、それはそれ、と思えます。

 ずいぶんと時間が経って、その後の著作もたくさんあるんだろうなと、先ほど著作一覧をちらりと見てみたら…単行本(小説)の中で「デッドエンドの思い出」は、ちょうど真ん中のあたりでした。ばななさん、今でも、「デッドエンドの思い出」が、いちばん、好きでしょうか…?なんて、ココロの中でそっと、問いかけてみたりして。答えはきっと、読者それぞれの胸の中に。いえ、もしかしたら、すでにご本人が何かのインタビューでお返事されてるかもしれませんけれど、ね。

 失われてしまった時間の中で輝く瞬間もあれば、今、目の前の小さな幸運も、いつか懐かしく思い返すときが来る。二度と会わなくても幸せを願うひとがいる。見上げる景色や雲のカタチは違っても、同じ空の下にいろんな想いが溶けている。そんな温かさに満ちた5篇の物語たちでした。

↓お菓子の話ではないけれど…
同じ空の下で_a0392423_23152968.gif

にほんブログ村





 

by farine12 | 2014-11-20 22:51 | 思い出の本/Books in my Memories | Comments(0)

お借りした本「あん」


お借りした本「あん」_a0392423_10075892.jpg


 生徒さんから「ぜひ読んでみて下さい」と貸して頂いたのは真夏だったはずなのに…なかなか取り掛かれないまま、季節が変わってしまいました。レッスンの時に感想をお話ししようかとも考えたのですが、その前に、少しだけ。想いが新鮮なうちに、感じたことを残して置きたい気もしますので…しばしお付き合いくださいね。


 あまり活気があるとは云えない商店街の一角にある小さなどら焼き屋で、毎日休みなくどら焼きを焼き続ける千太郎。ある日店先に貼られた求人を見てやってきたのは70歳を過ぎた手の不自由な女性・吉井徳江だった。年齢不問とは確かに書いたけれど、さすがにその年齢では…と断っても、めげることなく通い続ける彼女がある日置いて行った「あん」の美味しさに衝撃を覚えた千太郎は彼女を雇う事を決める…というストーリー。


 そもそもどら焼きが好きなわけでもなく、とある事情で雇われ店長として日々をこなす千太郎にとっては、「あん」は業者から仕入れればいいものであって、そこに愛情もなければこだわりもなかった。対して徳江にとっては、「あん」をはじめとする「お菓子」そのものがそれまでの壮絶な人生の慰めでも励みでもあったわけで、もう最初っから「思い」の「重さ」に差があることを、さらりとした文章のなかにクッキリと浮かび上がらせる作者。手が不自由であること、笑顔や表情に少しの違和感があることの描写から、もしかしたら…と思って読み進めたら、まさに想像通りだったことが残念に思えてしまって、それ以上読み進めるのには熱が冷めてゆくような気持がしたのも事実です。それでも、やはり物語を見届けたいとの思いから、一気に読んでしまいました。その病が猛威をふるった頃の、理不尽としか言いようのない社会的措置のあれこれを、かつてNHKのドキュメンタリーで目にした時の衝撃は今でも忘れられません。時代が時代だった、という一言で終わらせるにはあまりにも代償の大きすぎる人生を送ることを余儀なくされた人々がいること。そして病が完治しても、後遺症や偏見から、もとの生活には戻れず、家族とも再会できないままの人々がいること…生きる気力を無くした「千太郎」に「気づき」を与える「吉井徳江」というキャラクターを描く為に、はたしてそんな背景を抱えさせる意義があるのだろうかという思いが、読んでいる間中、頭から離れませんでした。物語の中でも、「徳江」の言葉を通して当時の、そして今なお残る偏見との葛藤や闘いが描かれていて、改めて「無知」でいることは罪だという思いも新たにしたわけですが…あえてこの設定にしなくても、と思うのは逆差別なのだろうかとか、では目に見えない「障害」や「病」はどうなのだろうか、とかそもそも「普通」とは何か、とか…もういろいろぐるぐる考えてしまった一日でした。


 すべてのことを「知る」ことはできないし、すべてを「受け容れる」ことも難しい。でも、少なくとも自分が「出逢った」ことや人に対しては、その関わりを大事にしようという想いを忘れずにいたい。ひとに対して抱く違和感も親近感も、言葉の選び方や立ち振る舞い、性格などから来るもので、障害のあるなしでもなく、国の違いでもない。目に見える差異も、見えない差異も、いかに関心を持つかと云う事に集約されているのでしょう。そう考えると、詩人でもありパンクロックアーティストでもあるドリアン助川さんの紡ぐ言葉だからこそ、はじめて関心を持つ読者も居ることでしょう。


 出逢ったことで得る「気づき」は、なかなかその場で言葉にはならないことが多いし、その感謝を当人に伝えきる機会がないまま、離れてしまうことも多い。あのときひとことでも伝えていられれば…という後悔を繰り返すからこそ、大人になるほどひとはひとに優しくなれる。言葉に託す想いがどんどん、重くなるし多くなる。「徳江」の言葉に比べると「千太郎」の言葉はやや軽く、若さや限られた経験値の象徴でもあるのだけれど、それがきちんと「徳江」に伝わっていたことが救いです。そのように描いてくれたドリアンさんもまた、優しいおとななのだな、とも思います。


 和菓子の物語らしく、「あん」を炊く描写はほんとうに美味しそうですし、夏の間はあまりの暑さで敬遠していた手仕事を再開するにはいい季節になってきました。ここはひとつ、作中に出てくるように「あん」を炊いてしみじみとお茶の時間を楽しんでみるのもいいかもしれません。


↓お菓子の話ではないけれど…
お借りした本「あん」_a0392423_10050291.gif

にほんブログ村

by farine12 | 2013-10-05 01:13 | 思い出の本/Books in my Memories | Comments(0)

匂い立つ気配


匂い立つ気配_a0392423_10074121.jpg


 梨木香歩さんの「西の魔女が死んだ」「裏庭」はイギリスに所縁のある人物や生活スタイルを日本の社会の中で魅力的に描いていましたが、こちらの「家守綺譚」(いえもりきたん)はおよそ百年ほど前の、京都と滋賀のあいだくらい(らしい)が舞台の作品です。大学を出て物書きをしている主人公の綿貫征四郎が亡き親友の実家に暮らして家を守る、まさに「家守」としての日々を淡々と追いかけた物語。


匂い立つ気配_a0392423_10074126.jpg


 亡くなったはずの親友がある夜に、床の間の掛け軸からボートを漕いでやってきたところから、征四郎の日々は独特の濃さを帯びてゆきます。庭に咲き乱れる花々や木々、草木、ちいさな池から仔竜やら小鬼やら人魚やら河童やら…不思議なものものが出現しては消えてゆく。庭の中だけが特殊な世界なのではなく、散歩に出かけても狸や狐に化かされたり、亡くなったご近所の娘さんと遭遇したり…

 それらの「自分たちとは違う何か」「自然のなかに宿る何か」を、少しは驚くものの、冷静にあるがままに受け容れる征四郎、それらを目撃しつつやはり戸惑わないお隣の奥さんも、決して特別なひとではない。その時代のその場所では、そんな「存在たち」はかなり身近なものだったのかも、と思わされます。梨木さんのエッセイ「春になったら苺を摘みに」でも書かれていた「理解はできないが受け容れる。ということを、観念上だけのものにしない」「分かっていないことは分かっている」という文章を思い出して、あぁまさに、普段目に映るものだけが全てではないんだなぁ、ものごとの極々一部しか感じられていないことを、普段は忘れているなぁ、と考えていました。広い世界のなかで起こっていることも、ごく身近なところで遭遇したことも、排除するのではなく、一度は感じてみること。眺めてみること。想いを馳せてみること。そういう「余裕」と、大きく括れば「愛情」も大事なのだなぁ、と。


匂い立つ気配_a0392423_10074248.jpg


 ひとつひとつの章が「サルスベリ」「ドクダミ」「萩」「野菊」などの草木・樹木の名前になっていて、季節の移ろいが濃密な気配を持って迫ってくるところ、淡々としている文章なのに時に匂い立つような艶やかさで目眩にも似た感覚になってしまうところ…きっといつ読んでもいい作品なのでしょうけど、はじまりが「サルスベリ」なので、ちょうど今の季節に読むにはピッタリかもしれません。すべすべとした白っぽい幹やそれぞれに異なる枝ぶり、フリルのような可憐な花を眺めていると、なるほど確かに、そんなことも起ころうかと納得してしまいます。ほんとう、この説得力は梨木さんならではの世界だなぁ、と、改めて圧倒されてしまうのです。

↓お菓子の話ではないけれど…
匂い立つ気配_a0392423_10050291.gif

にほんブログ村

by farine12 | 2013-08-10 00:14 | 思い出の本/Books in my Memories | Comments(0)

バタフライクッキーと楽しい再発見♪


バタフライクッキーと楽しい再発見♪_a0392423_10055832.jpg


 久しぶりに作ったアイシングクッキー。どうしても、アイシング自体を真っ青には作れません(笑)。外国のお菓子の本なんかを眺めていると、とても鮮やかな色彩に一瞬びっくりして、でもそれはそれでありかなと思うのに、いざ自分が作る時には…やっぱり、淡い色合いの方が好きなのですよね。というわけで、背景をちょっと派手にしてみましたがいかがでしょうか…?


バタフライクッキーと楽しい再発見♪_a0392423_10055881.jpg


 久しぶりに本の話を。最近(とは云っても、4月中旬ですが)出版された「ゴロツキはいつも食卓を襲う フード理論とステレオタイプフード50」著者:福田里香を読みました。ウェブマガジンで連載当時からかなり注目されていたエッセイを加筆したものだそうで、出版直後からのレビューの数々を目にしては「面白そう!」ととても気になり、さっさと購入。ここ数年、収納の都合で新刊本はなるべく我慢していたんですけれど(笑)。

 アニメやドラマ、映画などの画像作品で繰り広げられる「食」のシーンの数々を、演出上のアイコンとして理論づけたもので、目次を呼んでいるだけでもオモシロイのです。たとえば…「絶世の美女は、何も食べない」「カーチェイスで跳ね飛ばされるのは、いつも果物屋」「動物に餌を与えるひとは善人だ 自分が食べるより先に与えるひとは、もはや聖人並みである」「動揺は、お茶の入ったカップ&ソーサーをカタカタ震わせることで表現される」「極悪人は食卓を慇懃無礼に扱う」などなど。

 これまでに観てきた映画やドラマの数々をふっと思い起こしても、印象に残るシーンは「食」がらみのことが圧倒的に多いのは自分が食いしん坊だからか、なんて思っていましたが、もちろんそれはわたしだけではなくて(笑)製作者の明確な意図のもとに巧妙に張り巡らされた演出であったことを再認識するエッセイでした。古今東西、象徴として繰り返されてきたシーンの分析ですから、すべてが斬新な解釈と云う訳ではありませんが、漠然とした印象だったものをくっきりとした共感とともに再確認できるという点と、映画評論家ではなく、お菓子研究家としての目線から組み立てられた解釈が50も並んでるところに圧倒されたのでした。一篇づつにオノ・ナツメさんのスタイリッシュな挿画が入っているのも、楽しさを倍増させてくれますよ。

↓参加しています。応援のクリックどうぞよろしく。
バタフライクッキーと楽しい再発見♪_a0392423_10050291.gif

にほんブログ村

by farine12 | 2012-05-14 23:47 | 思い出の本/Books in my Memories | Comments(0)

恋心と冒険心

恋心と冒険心_a0392423_09151506.jpg


 すこし前に、久しぶりに書店の児童文学コーナーをぼんやり眺めていたら、この背表紙が飛び込んできました。去年出版された本で、初めて目にした作家であることと、装丁の美しさ、帯に書かれたコピーの魅力に惹かれて、迷うことなくレジに並んでいました。

 砂漠を超え、海を越えた先に「さかさまに流れる川」があって、その水を飲んだ者は「死ななくなる」という語り部の言葉を信じて、ひとり静かな決意で旅に出る12歳の少女。いつ終わるともわからない不安だらけの道のりを進んでゆく覚悟と潔さ。そしてその少女に出逢い、心動かされて、追いかけるように旅に出る少年。ふたり、それぞれが大切なものを守るために水を求めつつ、ゆく先々でお互いの気配を感じながらもすれ違ってしまったり…本当にたどり着けるのか、そして二人は再会できるのか、お互いの目線で語られてゆく2部構成となっています。

恋心と冒険心_a0392423_09151503.jpg


 故郷への思いであったり、大事なものやひとへの気持ちであったり、きゅっと心を締め付けられる恋心であったり、いろんな感情が散りばめられた物語。ふたりの勇敢さはもちろん、優しさも礼儀正しさも、機転がきくところも、まさに児童文学の王道といったところですが、脇を固める魅力的な人物達の影響もあって、決して押し付けがましくないところが素敵です。旅を続けるうちに辿りついた村々の描写には、本当にわくわくしてしまいました。

 キャッチコピーのとおり「戦士も魔法使いもいない」のに、これほどまでに冒険心をかきたてる本に、しばらく出逢っていませんでした。おとなのためのファンタジーといった雰囲気ではありますが、もしもわたしに子どもがいたら、毎晩一章づつ、ベッドサイドで読み聞かせをしてみたい、そんなふうに思いました。少年であれ、少女であれ、もしかしたらこのふたりが理想像になってしまって、同年代の異性を見る目が厳しくなってしまうかもしれませんけれど、ね。そんな風に考えると、この本にこれから出逢う子ども達が、大きくなったときにどんなふうに影響をうけたと語るのか、楽しみでもあります。自分がその追体験ができないのが残念ではありますが、やっぱりわたしにとっては、「今」出逢えたことが幸せな二冊となりました。

恋心と冒険心_a0392423_09151587.gif
↑参加しています。

恋心と冒険心_a0392423_09151511.gif
↑お菓子の話しではないけれど…

by farine12 | 2008-10-21 23:56 | 思い出の本/Books in my Memories | Comments(2)

いい季節の到来

いい季節の到来_a0392423_01562652.jpg


 林檎と梨が出回る季節。そろそろ秋の始まりです。気温も少し落ち着いて、湿度もちょっぴり低くなるからお菓子作りには最高の季節の到来♪バターもチョコも、扱いやすくなりますし、何より、さっぱりめのものから濃厚な味が恋しくなるのも秋ならではですね。

 そしてもうひとつ、本を読むのにもいい時期ですね。早めに用事を済ませて読みかけのページを開くのが楽しみな、夜。今読んでいるのはジュンパ・ラヒリの『停電の夜に』という短編集です。ロンドン生まれ・アメリカ育ちのインド系女性作家で、O・ヘンリー賞、ヘミングウェイ賞、ピュリッツァー賞などを受賞したデビュー短編集ということで、前から読んでみたかったのですが、いつのまにか時間が経ってしまってたのでした。

 まだ最初の2編 『停電の夜に』と『ピルサダさんが食事に来た頃』を読んだだけですが、早くもその世界に浸ってしまっています。あるきっかけで少しづつすれ違ってしまった若い夫婦が、毎夜1時間の停電のあいだにロウソクの灯りのもと、お互いの秘密を語りだすとか、アメリカ在住のインド系の少女が、ダッカ出身のお客様を迎えることでインド・パキスタンの分離問題に想いを馳せたり…劇的なことが起きるわけでもなく、ごく普通の日常の中で生まれる感情の機微をやわらかに、でも印象的に描いているのです。

 他者と関わること。それが「実際に目の前にいるひと」であれ、「遠く離れた場所にいるひと」であれ、関わる前とその後では、何かが変化すること。自分が立っている場所はなにひとつ変わっていないのに、心持ちが変わってしまうこと。「知ってしまった」ことはわずかなことのようなのに、心の隅にいつのまにか住みついてしまって、ふとした瞬間にじわりと滲み出てきてしまうこと。もう、「その以前」には、戻れないのではないかと思ってしまうこと。日々は相変わらずに進んでいるというのに、少しだけテンポがずれているような気がしてしまう感じ…この読後感、どこかで知ってるような気がすると思いながら読んでいて、ふっと「レイモンド・カーヴァー」を連想してしまいました。彼のような「硬さ」はないのですが、日々の暮らしの中での「その後」がいかに当事者にとって大きなことか、他者にとって一見取るに足りないことが、いかに根強く当事者の「核」になっているかを、丁寧になぞっているところ。地域や近隣住民との微妙な距離感だけではなく、一家庭の中ですでに始まっている差異のきっかけを、ドライに、冷静に見つめているところなど…

 秋の夜長、というほどではまだないけれど、日が落ちるのも確実に早くなっているこの頃。静かに想像力を集中させながら読む時間が、とても懐かしく感じられるのでした。

いい季節の到来_a0392423_01562650.gif
↑参加しています♪

いい季節の到来_a0392423_01562700.gif
↑こちらも応援クリックどうぞよろしくです。

by farine12 | 2007-09-24 23:44 | 思い出の本/Books in my Memories | Comments(0)

創作スタジオ粉工房のブログ。レッスンの様子や日々のあれこれを綴ります。


by Konakoubou
プロフィールを見る
画像一覧
更新通知を受け取る