記憶の苺

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 どのフルーツでも、年々出廻る時期が前倒しになってきていて、もはや「旬」の感覚もアップデートしなくてはいけないのかもと思いつつ、やはり「あれっ?もう??」と思ってしまいます(笑)。苺が10月の最終週に並んでいたのにはほんとうにビックリしましたが、やはり粒が大きすぎて、お菓子に使うにはあまりにも主張が強すぎて(笑)。クリスマス時期にはやはり、苺のお菓子がメニューに入るほうがいいかな、なんて思うので、「15㎝の丸型で焼いたケーキに乗せてバランスがとれるサイズ」を、数軒廻って選んだりしています。天候不順だった去年は、ちょっと様子を見ようと、クリスマスにはピューレなどで代用したお菓子を登場させました。皆さまご理解くださって、「苺そのもの」が飾っていなくても喜んでくださったので良かったです。ありがとうございました!

 年が明けてからは順調に苺も並んで、3月の半ばくらいにはこうした小粒の苺が手に入るようになって本当に嬉しい♪ 時代遅れだとは思いますが、わたし個人の「苺のイメージ」は、この写真のような、ちいさなもの。ひとさし指の第一関節ぶんくらい、でしょうか。

 子どものころに住んでいた町には緑がたくさんあって、住宅街の中にもちょっとした畑などがあって、ときどき苺を売りにきていたおばあさんがいました。わたしたちは親しみをもって「畑のおばちゃん」と呼んでいましたが、今から思ったら、おいくつだったのでしょう…?

 割烹着タイプのエプロンをして、少し背中が丸くなっていて、プラスチック製の「ザル」に摘んだ苺を盛って、訪問してくれていました。カタチが不揃いで、種の部分もちょっとゴツくて、いかにも「あの苺の花が果実になりました」という気配で、好きだったのです。味は残念ながら、ちゃんとは覚えていないのですが。いえ、こんな味だった!と思わなくもないのですけれど、それは「後付けの記憶」かもしれないと思うと、もうあやふやですね(笑)。

 「畑のおばちゃんの苺」を思い出すたびに、「記憶」って、どうして曖昧なのに鮮明なんだろう、と思います。間で何度も思い返すうちに、少しづつ変化してゆくこともありますし、思い出さないと忘れる一方のものもあるなかで、ちょっとした刺激ー聴覚とか嗅覚とかーで、封印していたものがぱぁん!と開くこともありますし。非常に個人的なもののようでもあり、でも、「ノスタルジー」というコトバに代表されるような、どこか「共通認識」のある記憶もありますし。

 季節は確実に進んでいて、散った桜の枝にも、つい少し前まで枝だけだった銀杏にも、新芽がたくさん。この小粒の苺も、ひっそりと見かけなくなってしまうのですよね。寂しさもあり、でも、次のフルーツがまた登場してゆきますね。心待ちにできる楽しみがまだ残されていることに、感謝です。

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by farine12 | 2020-04-18 22:06 | 原点/Starting Points | Comments(0)

創作スタジオ粉工房のブログ。レッスンの様子や日々のあれこれを綴ります。


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