「ハヅキさんのこと」
2016年 10月 02日
川上弘美さんの作品で何を一番最初に読んだのか、今となってはもうよく覚えていないのですけれど、文庫化されたものはほとんど読んでいて、エッセイも書評も大好きで。淡々とした日常を描いているようでふっと異界に入り込んでいたり、禍々しく妖しい気配の中に確固たる日常の姿が重なっていたりして、もうどこが境界線なのか、いやもしかしたら物事には境界線なんてないのかもしれない、と思わされる説得力に惹かれます。あんなに柔らかい文章で茫洋とした世界なのに、非現実には思えないところ。なるほどそんなこともあろうかと思ってしまうところに。
「ハヅキさんのこと」は、ページ数にして8枚あるかないかの短編が23篇おさめられていて、こんなにも短いのにどれも濃密に「川上弘美ワールド」で、登場人物たちの息遣いというよりは、「困惑」があちこちから滲み出ている作品たちです。
それまでにも、川上さんの描く主人公たちに何か共通の気配があるのに気がつきつつ、それをあえて言葉にすることなく読んできたのですが、この「ハヅキさんのこと」の解説を書いた柴田元幸さんは、それを「川上的オウム返し」と命名していて、あぁそこか!!と思ったものでした。叡智に溢れたひとなのか、単なる変人なのか、という、判別つきかねるひとびとが大勢登場するのですが、そう云えば確かに主人公たちは「とりあえず軽く圧倒されたまま受け取る」返事をしていて、どんなに突飛に見える(聞こえる)ハナシでも、ひとことめで否定することは決してなく、必ずオウム返しをしているのでした。
ぼんやりしていてすぐに困惑するのに、それでもコミュニケーションとして断絶されていないのは、なるほどそこか!と。かといって、そのオウム返しがあざとくないのは、やはり主人公たちのキャラ設定と、彼女らを通して語っている川上さんご自身の、他者への興味なのだろうな、と納得したことを覚えています。
つい先日のあるバラエティ番組で、若手の女優さんと人気の女性シンガーが「少年時代」をコラボして歌っているときに、ふっと思い出したこと。かれこれ10年以上前に、年上の男性と話をしていたときに、その方がカラオケではよく陽水を唄うと仰っていたので、なんとはなしに「少年時代、とかですか?」と聞いたのです。するとその方、「そんな簡単なものは唄いません」と、しらけたご様子でひとことだけ、仰いました。わたしはその「しらけ加減」にそんな失礼なことをいったのかしらと考えてしまい、でもその男性も十八番のタイトルを話すわけでもなく…。若干の気づまりな気配の後に話題は別に移っていったのですが、じゃぁ何を唄うんですか、と今なら続けて聞くだろうな、とか、いやむしろ最初に「陽水ですか!たとえばどんな曲ですか?」と返事するだろうな、なんて思ったのでした。そう、「今なら」もう少し、「会話を続ける」努力をするだろうなぁ、なんて思いつつ、でも、「続かせよう」として続いたものでもなかったかな、とも思ったり。
「川上的オウム返し」で云うならば「はぁ、簡単…ですか」 「簡単ですとも」「そうでしょうか」「そうですよ」「どのへんが簡単なんでしょう」「つまりはこのへんが…」
あぁ、やはり何かが違います(苦笑)これでは会話が進んだことにはなりません(笑)。やはり「では何を唄われますか?」と聞く方がよさそう。それで先方が「話してもあなたにはわからないでしょ」と白けた気配だけを出すようなら、それがそのひとの会話のスタイルってことで済みますものね。あ、でもこうして「判断」を自分の基準で持ち出すということは、いつまでたっても川上さんの描くような女性にはなれないってことでもありますね(苦笑)。
居そうなのにいない、そんな女性たちがさらさらと登場するからこそ、惹かれるのかもしれません。
↓お菓子のハナシではないけれど…
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