魔女修行
2007年 08月 16日
数年前に、新刊本のエッセイが紹介されていたことで知った、梨木香歩という女性作家。どの作品を読んでも、じんわりと心に沁みこんでくるのですが、とりわけ好きなのが「西の魔女が死んだ」という作品。
不登校になってしまった中学1年生の「まい」が、田舎暮らしをしている「おばあちゃん」(イギリスから日本人のおじいちゃんのもとへ嫁いできて、今は独り暮らしという設定)のもとで夏を過ごし、生きてゆくうえでの様々な知恵や人との関わり方を学んでゆく、というお話なのです。
自称「魔女」だというおばあちゃんから魔女修行も受けるのですが、その第1弾が「なんでも自分で決める」ということ。決して説教がましくはないのに、「自分で選んだことに責任を持つ」ということを、ほんのちいさな生活上のことからも、伝えようとするおばあちゃん。そして、とある事件がきっかけで乱れたまいの心を静めようと発する言葉が「いいですか。これは魔女修行のいちばん大事なレッスンのひとつです。魔女は自分の直感を大事にしなければなりません。でも、その直感に取りつかれてはなりません。そうなると、それはもう、激しい思い込み、妄想となって、その人自身を支配してしまうのです。」
「上等の魔女ほど、外部からの刺激に反応する度合いが少ないのですよ」とも。
客観的に事の成り立ちを見つめること。「芯」となる自分の立位置をどこに置くか。ひとの言葉をどう聞くか。柔軟性を持ちつつ、決してぶれることのない自分をどう保つのか。頑固というよりも毅然と人生に立ち向かうことの大事さが、分かりやすい文章で綴られています。
小さい頃に祖父母と暮らしていたときのこと、理不尽に思える出来事に直面した時の、云いようのない感情の揺れ、集団生活に馴染めなかったときに感じていた違和感。たったひとことで救われた気持ちや、別のひとことで誰かを傷つけた苦い想い。そんな、記憶の隅に追いやられていた想いの欠片たちが鮮やかに甦ってくる感覚なのです。それが嫌なフラッシュバックではなく、どこか甘く切ない感傷に繋がるような、「余裕のある」記憶への揺さぶりとでも云いましょうか。
「生と死」や、「老人と子ども」など、一見対極のようでいて実は密接な繋がりがあるものを、さりげなく描いているところにも、いつも感嘆してしまいます。
実際に自分が「まい」と同じ年頃にこの物語に出逢っていたら、まちがいなく「まい」に深く共感して『魔女修行』にいそしんだことと思いますが、大人として出逢った以上は、深い愛情と強い信念を感じさせる「おばあちゃん」への憧れを、どうやって自分のものとして身につけるかが課題かなと思わされます。毅然と、凛と。でも許容量の深い、温かい女性。道のりはまだまだ長いけれど、少しづつ訓練していかなくては。読み返す度に、心の中が爽やかに、でもピンと背筋が伸びる感覚になる本なのでした。
魔女修行という題名をみたとき、もしかしてって思ったんです!
梨木香歩さんの「西の魔女が死んだ」を思い浮かべました。
記事を読んで・・・やっぱりそうだったってうれしくなりました。
私も大好きな本なのですよ!梨木さんの本はほとんど読んでいるんでるけどKonaさんのおっしゃるとおり彼女の作品はじんわりと心にしみこんで来るんですよね。読み終えた後になんだかふわぁっと暖かいものがこみ上げてくるような・・・。
この記事を読んでとてもうれしくなった私です!
梨木さんの本は、どれも素敵ですよね!わたしは他に「りかさん」が大好きなんです!あっ、あと「裏庭」も。。。。
彼女を知るきっかけになったエッセイ本「春になったら苺を摘みに」も
とても深くて考えさせられます。「受け入れる」ことの大切さを
気づかされました。あんなふうに生きていけたらと手本にしたいことがいっぱいです{キラリ}